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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第3節 仮面の下 [15]




 突き飛ばしたまま伸ばしっぱなしの両腕もそのままに、呆然と立ちすくむ。
「あっ あっ」
 全身の震えは相変わらず、気を緩めたら地面にヘタりこんでしまいそうだ。
 つまづいた下駄はコロリと転がり、探す足の指が地面に冷たい。
 そんな美鶴の姿に、慎二もまた言葉を失ったまま。だがやがて、申し訳なさそうに伏せた。
(たわむ)れにも、程がありましたね」
「えっ」
「申し訳ありません」
 そう言って頭を下げる。
「謝って済むコトではありませんね」
「戯れ……… って」
 声の震えは、いまだ止まらない。
 一方慎二は、眉間に皺を寄せながら唇を噛む。
「腹を立てていただいて構いません。女性にこのような悪戯は、許されるものではない」
 そう言って、慎二その人にこそ腹を立てているかのよう。ギッと地面を睨みつける。
「なんとお詫びしてよいのかっ」
 苛立だしげに、右足で地面を叩く。
「あのっ 悪戯って?」
 悪戯? 今のが?
 頭が混乱して、足がフラつく。眩暈(めまい)がする。
「どういうっ」
 言葉が見つからない。
 ヨロヨロと右手を額に当てる美鶴の仕草に、慎二は瞳を閉じた。
「浴衣を着たあなたと風雅な(おもむき)に、軽率にも惑わされてしまいました」
 申し訳ありませんっ と再び、さらに深々と頭を下げる姿。かける言葉もない。
「女性に不慣れだなどと、言い訳にもなりません。本当に申し訳ないっ! なんとっ なんとお詫びすればよいのかっ!」
 悪戯…… 気紛(きまぐ)れ? だったなんて。
 呆然としながら、心のどこかで納得する。
 そうだよね。私なんかに、霞流さんが好意を寄せてくれるワケないもん。
 そう言い聞かせながら、心の隅では落胆(らくたん)(うず)く。
 落胆が存在するということは、期待が存在していたということ?

 期待―――?

 一方で、なぜだか笑いたいとも思う。
 悪戯? 本当に?
 でも、もし私が突き飛ばさなかったら?
 …………
 わっ 私は何をっ!
 何も悪いことはしていないのに、なぜだが後ろめたいような気分になり、どうにかそれを隠したい。
 おっ お前は霞流さんにからかわれたんだぞっ! 何笑ってんだよっ 怒れよっ 怒れぇっ!
 だが、全身を必死に奮い立たせても、怒りの欠片すら沸いてこない。
 湧いてこない自分に、ひどい醜さ感じる。

 隠したい。

 隠したくて、なんとか口元に笑みを浮かべる。
「気にしないでください」
 自分でも驚く。驚くほどに、落ち着いたセリフ。
 だって気にしていると、思われたくない。
 慎二が、頭をあげる。
「ちょっとビックリしましたけどっ」
 信じられないというような慎二の視線。居心地が悪くて、思わず避ける。
 だが、その行動すらもごまかしたくて、一層の笑顔を相手へ向けた。
「でっ でも、それなりに浴衣が似合うってコトですかね?」
 指で袖の裾を摘み、パッと両手を左右に広げてふざけてみせる。
「もうイタズラはダメですよ」
 そうしてへへっと照れ笑い。
 今の美鶴にできる、最大の愛嬌。聡や瑠駆真が見たら、愛おしさに我を忘れてしまうだろう。
「美鶴さん……」
 慎二はホッと息を吐きながら、瞳の奥では小さく睨む。
 やるじゃないか
 背筋がゾクッと波を打つ。
 神様も罪なことを。なぜ今頃こんな異性を、俺の前に投げ出してくる。
 気を緩めると、笑ってしまいそうだ。
 そうだ、そうでなくてはいけない。
 この俺の、黒く染まりきってしまった胸の内。そこに湧いた、淡い期待。
 期待なんてモノを(いだ)かせた、その責任は取ってもらう。

 大迫美鶴 俺なんかに……
 この俺なんかに()とされるなよ。
 そんな愚女には、興味はない。







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